【北條寺】北条義時の墓【鎌倉殿の13人】

2022年 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公 北条義時の墓が静岡県伊豆の国市にある北条寺にあるのだ。

巨徳山 北條寺

鎌倉幕府創立に功績があった北条時政の子息、義時(江間小四郎)が創建した寺院。

伝承によれば、義時の嫡子安千代が大蛇に襲われて命を失ったため北條寺を墓所とし、七堂伽藍を建立したという。

この時、仏殿の本尊「阿弥陀如来坐像」を運慶(鎌倉時代の仏師)に命じて作らされたと伝えられる。

(左)後妻 佐伯氏娘の墓・義時の墓(右)
北条義時夫婦の墓

北条義時は時政の次子で、源頼朝夫人政子はその姉である。幼少より江間の館に育ち、江間小四郎と称した。頼朝の旗揚げ以来、父 時政 兄 宗時とともに従い大功があった。

鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の正統が絶えると京都より頼朝の姉の曽孫に当たる藤原頼経を迎えて自らわ執権となり勢威を極めた後鳥羽上皇はその専横を憤り、承久三年(1221年)院宣を下して義時を討とうとされた。
 義時はその子 泰時、弟 時房に大軍を率いて京都に攻め上がらせ、官軍を大いに破り、帝を廃し後鳥羽、順徳、土御門の三上皇を配流した。これが世にいう承久の変である。

義時は承久の変語三年、元仁元年六月十三日急死した。時に六十二才であった。

長子泰時らは、北条氏発祥の地にあるこの寺に墓を建て追善の碑とした。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です